いかぞ徒然。(tCoNS統合)

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zoom RSS 【映画感想】Harry Potter and the Philosopher's Stone

<<   作成日時 : 2001/12/01 00:00   >>

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Harry Potter and the Philosopher's Stone
(邦題:ハリーポッターと賢者の石)

画像

2001年 Warner Bros. Pictures
監督:Chris Columbus
出演:Daniel Radcliffe, Rupert Grint, Emma Watson, Richard Harris 他




お気に入り度 ☆☆☆☆☆


story
「普通」であることを愛し、「普通」でなくなることを恐れる超普通主義である叔父のDursley一家に育てられた主人公:Harry Potter。何故か常に、とても「普通」とは言えない不思議な現象の付きまとう彼は、Dursley一家にとっては目の上のたんこぶそのものだった。
常に煙たがられ、自分を愛してくれる存在をもたない彼に、ある日手紙が届く。

"---親愛なるHarry Potter
あなたの ホグワーツ魔女・魔法使い学校 への入学を許可します---"

そう、彼は「普通」でいられるはずがなかった。彼は、魔法使いだったのだ。
こうしてHarryの不思議な冒険が、自分の知らない自分との出会いが始まった---!


感想
この映画は、いかぞがハリポタにはまるきっかけになった作品です。
この映画が公開される数年前に、ネット上でイギリス・アメリカでハリポタがブームになっているというニュースを見て原書1・2巻を買ったんですが、忙しいのとその頃スタートレックの洋書にちょっとはまっていたのとで、全然読んでいませんでした(^_^;)
この映画を見たときの最初の感想は、「映像が凄い!」ってことでしょうか。
もともと小説・映画に関わらずファンタシー物が好きないかぞにとって、古くからの童話にも共通するいかにもCGという感じの押し付けがましくない美しい映像と、それでいて新しいテイストのストーリーはまさしく新鮮そのものでした。
なにより、主人公含めた3人トリオがかわいいです。Harry役のDaniel Radcliffeは演技(台詞回し)が凄くうまいというタイプではありませんが雰囲気を持っている役者で、主役をやるにふさわしい風格があります。Ron役のRupert Grintは少々演技が荒削りですが、どちらかというとこちらは演技派として育っていく感じがします。このままうまく役者として育っていくなら、コミカルさとシリアスさを両方出せる・・・雰囲気としてはロビン・ウィリアムスのような役者になれるのではないでしょうか。
そして、なによりHermione役のEma Watson!彼女はまさしく演技派ですね。まだ子供で演技に慣れていない分、少々舞台劇のように癖のある演技をするところがありますが、このまま成長が楽しみなタイプの女優です。顔もかわいいですしね♪

ストーリーを知らない段階で観て大変素晴らしいと思った作品ではあったのですが、この映画を観終わったとき、説明の足りなさから「??」と思う部分がいくつもありました。一緒に観た友人にそのことを言うと、「小説はもっと細かく書いてあるよ」(彼女は1巻日本語版をすでに読んでいた)とのこと。おかげで忙しい時期だったにもかかわらず、帰ってすでに家にあった1・2巻をそのまま読む羽目になりました(^_^;)
映画として2〜3時間で抑えなければならない分説明が足りなくなるのは仕方がないことですし、DVDや色々な場所でのColumbus監督の話を聞くと、「ハリーポッターガイドのような役割になる映画を作りたい」とのことでしたので、「もっとハリポタワールドに浸りたい人は本を読んでね♪」ということなのかなぁ・・・と思ったいかぞでした。


原作本と比べて
原作をしっかり何度も読んだ後、DVDで再びこの作品を観ると、原作を知らずに観ていた頃と違った突込みどころがいっぱい出てきました。
原作ファンのわがままと知りつつも、言わずにいられないのがファンってものでしょう(笑)。

・プロローグ
Dumbledoreが闇に溶けた感じが好きです。Put-Outerが文章そのままで素敵です。本を読んでいるときも思ったのですが、彼が杖で自分の魔法で街頭を消さないのは、杖で使う魔法は探知される恐れがあるのを考慮してなんでしょうかね?
この場面で一番つくりとしてよく出来ているのは、McGonagallの変身シーンでしょうか。一番最初のこの部分では、授業のシーンのように実際にCGで変身させるより影のみにしたほうが、怪しさと不思議さが出ているような気がします。

・Blazil? or Burma?
本では、動物園の蛇はブラジル出身だったと思うんですが・・・ミャンマーの方(Burmaと聞こえた気がする?)になってましたね。このマイナーチェンジはなんなんでしょう(^_^;)

・いきなり孤島
Harryに届けられる手紙を阻止しようとDursley一家で逃亡するところですが・・・
映画ではじめてこのシーンを見たとき、普通のイギリス住宅地からいきなりの移動だったので、「どここれ!?」といかぞは思いました(^_^;)
本ではきちんと持ち主から孤島の家を借りるところやボートに乗るところ、銃を手に入れるところが書かれているのですが、映画では一瞬孤島の様子が映っただけで、いきなりぼろ屋の映像・・・
どこここ?と思ったのはいかぞだけではないはず(^_^;)
しかも銃についてはなんの描写もありません。Vernon、かなり危ない人になってます(^_^;)

・杖選び
このシーンは映画の中でもいかぞの好きなシーンです。 杖選びがちょっと短い気はしますが(もっと何本も試して欲しかった)。
自分とあわない杖を振ったときに周りが破壊されるのが面白いです。でも、新しい客がくるたびにあんなことが起こってたら、Ollivanderさんも店の片づけが大変(^_^;)
原作では「腕が重く感じた」とか「暖かく感じた」とかの記述が多いので、画像としてそれに近いものを感じさせるのはとてもいい演出だったと思います。

・今日は何日?
Hagridがはじめて現れたのは、Harryの誕生日なので7月31日。原作では嵐が通り過ぎるのを待ちますが、映画では嵐の中無謀にも出立(笑)。
買い物をし終わって、Hagridがチケットを渡したときにいった台詞は「あと10分で電車が出る」・・・。
ホグワーツ、開始が8月1日になっちゃいましたか?(^_^;)
まあ、原作どおりここでいったん家に帰ってまた1ヶ月待って・・・なんてやってたら、確かに映画としてはリズムが悪いですが・・・でも、もう少しうまく矛盾がないようにできなかったんでしょうか(^_^;)

・握手は嫌
原作では、初対面のときにしっかり握手をしていたQuirrell(というか自分から握り締めてた)。映画では、ためらってうまくかわしました。監督は、「Voldemort本人もしくは彼に身体を貸している人間は、Harryに触られると痛みを受ける」と解釈したということでしょうか。そういう意味で解釈したのなら、「最初に握手したとき平気だったのに、最後は触られただけでやられちゃうのは何故?」という疑問を避けるという意味で、ここで握手をしなかったことは生きるとはいえますが・・・。
どちらかというといかぞは、「Harryに触れるそのときに、Voldemort&Quirrellが彼に対して悪意・殺意を持っていたか」というあたりにポイントがあると思っています。Dumbledoreは原書の中で"Quirrell, full of hatred, greed and ambition, sharing his soul with Voldemort, could not touch you for this reason."と言っていました。5巻のDumbledoreの言葉から考えると、Death Eaterに対しての守りにも役立てていたはずなので、Voldemortに限らず他の敵からもHarryを守ると考えてよさそうですが、だとしてもHarryに対しての殺意を隠し持っているだけで彼に触るとダメージを被るというのは少々守りの方向性が広すぎるように思います。ましてや「邪悪な人間はHarryに触れない」ととるとすると、たとえば4巻で偽MoodyがHarryを城に運んでいくとき、偽Moodyはその時点では殺意を抱いてないにもかかわらず、すでにダメージを被っていたはずです。
Voldemortは愛の力を理解できず、そして誰よりもHarryに対して殺意を持っているからこそ、Lilyのこの魔法に対して特に弱い。そして、そのVoldemortと体と心を分け合うQuirrellも同様・・・ですが、Quirrellは「分け合って」いたわけであり、「操られて」いたわけではありません。普通の生活の時点では、人間性こそ元から変わっていたとしても、QuirrellはQuirrellであり、Voldemortは普段はターバンの下でおとなしくしていたわけです。普段はHarryに対して、Voldemortを倒した人間として恐怖なども感じていたでしょう。これは、強い殺意とは違う感情です。しかし最後の部屋でHarryと対面したとき、Voldemortの怒りは最高潮であっただろうし、Quirrellの恐怖と「これに成功すれば!」という気持ちによるHarryへの殺意も極限まで高まっていたでしょう。このようにHarryへの殺意がかなり高まったことが、Harryへの守りを発現させたのでは・・・と思うのです。つまり、実際に「悪意」に攻撃されたときに発動する守り、というわけです。
・・・なんか、映画感想から原書感想にずれちゃいました? このあたりでやめときましょう(^_^;)

・Hagridの移動法
「9&3/4なんてホームないでしょ・・・?」とHarryがチケットから目線を上げたとき、Hagridは消えていました。Harryたちがいたのは電車が見下ろせる橋の上。見晴らしがいいので、急いで移動してもHarryからは見えるはず。どう考えてもHagridはその場で消えたことになります。
Hagridは違法合法以前に、3年生で退学になったのでApparitionは知りません。ってことは、DumbledoreからPortkeyを渡されたんでしょうか?Portkeyを作るのには色々規制があるようなのに、このそれほど緊急でもなさそうな事態でDumbledoreがHagridにPortkeyを渡すでしょうか?
「魔法の世界への入り口」という意味でちょこちょこと魔法を出すのは演出として効果的だと思いますが、シリーズ全般を通すと矛盾になってしまう気もします。

・Chocolate Frog
原作のどこを読んでも、チョコレートのかえるが動くという記述は見当たりません(^_^;)
最初に映画を見たときに「うわ、食べたくない・・・」と思ったいかぞでしたが、原書を読んだときはおいしそうに感じました(笑)。Muggleの食べ物だろうが魔法使いの食べ物だろうが、やっぱり食べ物はおいしそうじゃないと・・・(^_^;)

・ホグワーツの制服
先に映画を見たおかげで、いかぞのホグワーツの制服のイメージは、しっかりローブの下もネクタイ付きの制服状態です。ですが、原作で制服をきる場面を読むと、私服の上にローブを羽織っていますね。リストにも、ローブ・帽子以外の制服の記述は見当たりません。
4巻などでローブの下にズボンをはきたくないおじいさんが出てくるように、実は魔法使いはローブの下に直接下着、というのが伝統的とか?Muggle出身やハーフの子がホグワーツにくるようになって(またはMuggleで使われている洋服が魔法界でも広まって)、私服+ローブになったのかもしれませんね。
でもいかぞは、映画に出てくる制服が好き♪ちょっとカラフルになったEton校の制服という感じですよね。

・The Bloody Baronがなんか陽気
The Bloody Baronは、映画を観たときの印象は「マッドマン」という感じです。ですが、原書を読むと、どちらかというともっと渋いキャラのような気がします。寡黙でほとんどしゃべらず、その上血にまみれているので恐ろしく近寄りがたいという・・・
映画の彼は剣を振り回してテーブルの中を駆け抜けていくので、Peevesがそこまで恐れるということがちょっと説得力ありません(^_^;)
まあ、そのPeevesもこの1作目には出てきてないんですけどね。

・McGonagallがなんか嫌味
本を読んだ彼女のイメージは、厳格で、真っ直ぐで、優しい人という感じです。彼女に対して優しい人という印象を持つのは、やはりオープニングの時点でHarryをDursleyに預けることを心配したり、Lilyたちの死に涙したりしたからでしょう。
ただこの映画の授業初日の彼女の怒りかたは、Professor McGonagallっぽくないといかぞは思います。「この授業でふざけるものは出て行ってもらいます」というような直接的な言葉なら彼女らしいのですが、映画では、遅刻したHarryたちに、遅れないために「時計が必要だ」だの「地図の方がいいかしら」だの、ちょっと叱り方が陰険です。こういう叱り方はSnapeの専売特許だと思うんですが(^_^;)
彼女の「厳しさ」を演出したかったのかもしれませんが、いかぞとしてはちょっと納得のいかないところです。

・Flying Lesson
いかぞがなかなかに好きなシーンです。ちょっとCGくささは出ていますが、よく出来ているシーンだと思います。
Madam Hoochは、見た瞬間になぜか水前寺清子を思い出しました(笑)。でも、なんか体育系の先生という感じがよくあっていて好きです(*^-^*)。
Nevilleの事故のシーンは、ちょっと物理法則的に無理があるところがあるとはいえうまく出来ているとは思うんですが、最後の城の金具にひっかかるシーンはいらなかったように思います。本にはないですが、Madam Hoochが思わず杖を出したところってリアリティがありますよね?魔女や魔法使いならああいう緊急事態にはそうすると思います(そういう事故がおきないように監督する立場だろうし)。それならば、あの金具にひっかかった瞬間に彼女ならNevilleに何かしらの呪文をかけて助けてしまったと思うんです。彼女が呪文をきちんと狙う間もなくほうきから振り落とされてしまったからこそ、地面にまで落ちてしまった・・・というほうが理解がいくと思うのですが・・・
まあ、すでにこの時点で2の脚本が出来上がっていると考えられるので、2の同様にひっかかるシーンにかけるために必要だったのかもしれませんが。
話は変わりますが、Harryのスタントを見た後のProfessor McGonagall、かなり凄くないですか?自分の部屋からフィールドまで、数秒で移動してますね(笑)。やっとSeekerを発見して、超ダッシュだったんでしょうか(^_^;)

・JamesがSeeker??
JamesはChaserでしょう・・・?性格的にも、絶対Chaserだと思います(笑)。SiriusはBeaterが似合いそう〜〜(^_^;)

・なぜSeamus
原書では、よく失敗するのはNevilleです。ですが、この1ではなぜかSeamusばかり・・・
Nevilleのドジぶりが少なかったせいと、原書にあった、Harryたちがドラゴンを渡しに行くことに巻き込まれたために一緒に罰則を受けるシーンがなかったせいで、Harryたちが3階の部屋に行くのを止める彼の勇気ある行動が中途半端になってしまったように思います。
Nevilleは重要キャラクターだと思うので、本当に7まで映画を作る気があるのなら、1からしっかり描く必要があるといかぞは思うんですが・・・なんでそこまでSeamus??

・Hallowe'en
Quirrellの倒れっぷり、見事ですね(笑)。彼はなかなかの演技派の印象を受けました。原作の段階でさえ印象の薄いQuirrelが、彼の演技のおかげでなかなかうまく表現されたと思います。
TrollのCGは・・・ちょっと微妙ですね。やはり人間型のCGは他のものに比べて難しいように思います。その上生身の人間の動きも関わるので尚更でしょうか。HarryがTrollのクラブに捕まって持ち上がるシーンは、ちょっと「よいしょ」という感じで緊迫性に欠けます。なにより頭にしがみついて振り回されるところは、CG処理がちょっと目立ちすぎです。Harry固定で実際に一緒に振り回され、背景がぶれるようにした方が緊迫感があったんでは?と思います。ちょっと、無駄なCGの使いかただなぁという気がしました。
ところで、Trollってば鼻にHarryの杖が刺さったまま、前に倒れましたね・・・杖が折れなかったのが奇跡です。ここで折れて新しい杖を手に入れたせいで4巻最後で死んでしまったら、笑えません(笑)。
それともうひとつ。Harry、Trollの鼻水を自分のローブで拭いちゃいましたね(^_^;)。できれば原作どおり、Trollのズボンで拭いて欲しかった・・・ちょっと見ていて「うへぇ」と思ったいかぞでした(^_^;)

・助けろよ
Quidditchの試合は、とてもよく出来ていたと思います。本当にこういうスポーツがあるように感じました。
もともとの原作と違い、映画の構成上ストーリーに登場した試合は1回だけで、そしてもちろんその1回はHarryのほうきに呪文をかけられてしまう試合でしたが・・・スタンドにProfessor Dumbledoreがいるじゃないですか!!
いるならHarryを助けなさいよ!!(笑)

・みぞの鏡?
最近、やっと、某掲示板で他の方から情報を得たおかげで、この名前の意味が分かりました(^_^;)
元々原書で読んでいたので、"Mirror of Erised"のErisedがDesireをさかさまにしたものであることは読んだときに分かったのですが、映画は小説を読む前に観てしまったので、そのまま「みぞの鏡?ふ〜ん・・・なんで溝なんだろう?」と先に思ってしまっていたのです(^_^;)(しかも英語で名前を見たとき、それをどう訳すと溝になるんだろうとか思ってた)
最近になって、「日本語に私が訳すならなんだろう・・・うぼくよの鏡?みぞのの鏡?」とか思っていて(それでも気づかなかった)、掲示板でErisedのことを書いたら日本語版を読んでいた方から「やっと鏡の名前の意味が分かりました!」というレスをいただき、やっと「の」まで一区切りで「望み」をひっくり返したんだと気づいたんです(笑)。
だって、「の」が1個足りないじゃないですか〜〜〜(=◇=)
確かに、みぞのの鏡じゃゴロは悪いけど・・・日本語版もしくは映画だけ観た人って、この名前の意味を皆分かっているのかなぁ・・・

・Dumbledore、会話がせっかちです1
Mirror of Erisedの前でのDumbledoreとHarryとの会話は、原書の中でいかぞがとても好きなシーンです。
ただ、映画ではちょっと気持ち的に消化不良気味・・・。なぜなら、Professor Dumbledoreがちょっとせっかちだからです。いかぞの彼のイメージは、問いを謎かけで返すタイプです。「どうして?」と聞くと、「さあ、どうしてだと思う?」というように返すとか・・・そういう感じです(実際原書の中ではそうですし)。つまりは、自分で考えさせるタイプなのです。そしてなにより、相手をじっくりと観察し、相手にとって必要なタイミングで話すタイプだと思うのです。
ですが、映画の中では、彼はHarryが考え出す前に「ヒントをあげよう」とか言い出します。原書と少ししか台詞は変わらないのですが、原書の「分かったかい?」と聞き首を振るのを観た後「こう言えば分かるかな」と説明をし始めるのと、初めから「もう分かっただろう?」と聞いてくるのとでは、微妙に「間」が違うのです。台詞全体が早口なせいで少々説明くさくなっているのも気になります。これは映画の長さを抑えるために仕方なかったんでしょうか・・・好きな場面だけに、ちょっと残念です。
ついでに、典型的ギャグとDumbledoreの望みについての会話がないのも残念ですね。まあ、これは映画の流れ上切られたのも納得いきますが・・・5巻を読み終わった今、このDumbledoreが自分の望みを語ったときの真情を考えると、ちょっと切なくなるいかぞでした。

ドラゴン事件
Harryたちの夜の徘徊回数を抑えるためでしょうが、ドラゴンに関わる根本的問題がおもいっきり飛ばされてしまいました。HagridはHarry達以外にドラゴンのことがばれちゃったわけです・・・
そもそもHarry達が原書中で、自分たちが罰則を受ける危険を冒してまでNorbertをCharlieに渡そうとしたのは、Hagridがドラゴンを違法に手に入れたことがばれたら大変なことになると考えたからです。Charlieだって、Dumbledoreに知らせて済む問題だと考えたなら、自分の弟達に消灯時間をすぎた時間に塔まで来いなどとは言わなかったでしょう。それなのに、Norvertは普通にルーマニアに送られ、Hagridはなんのお咎めもなし・・・ちょっと無理がありません?
第一、単に夜にHagridを訪れただけなら、そこに現れたDracoも単にその夜偶然に夜に徘徊していただけになり、偶然が重なりすぎてかなり不自然な気がします(しかもドラゴンを見られたこと自体は結局その後問題になってないし)。
また、クライマックスでのNevilleの行動に深い意味をもたせるためにも、ここでNevilleにHarryたちが悪戯のために先生達まで騙そうとした、というような誤解を持たせ、一緒に罰則を受けさせることは大事だったように思います。
ちょっとここは原作を変えすぎたのではないかなぁ・・・と思ういかぞでした。

・他のCentaurs
原書と違い、CentaursはFirenzeしか現れませんでした。つまり、Harryを助けない方がいいと思っていたり、人間に対してあまりいい感情を抱いていない他のCentaursは現れなかったわけです。
ここでは別にストーリー上対して問題はないのですが・・・5巻を映画化したときに、説得力に欠けるんじゃないかなぁ・・・とか思うのは、いらぬ心配なんでしょうか(^_^;)

・ここでお別れだ
"This is where I leave you."確かに、「ここでお別れだ」ですが・・・
原書では、危なかった地点からHarryを乗せて移動してきて、Hagridたちがきたのでその場所は安全だと思い、こう言ったわけです。つまり、「ここまで一緒にいたが、もうここで私が去っても大丈夫だろう」というニュアンスがあるわけです。しかし、映画ではHarryと最初に出会った場所から一歩も動いてません(笑)。
一応別れの挨拶と取れるのでおかしいわけじゃないですが、下手に原作と同じ台詞である分、ちょっと違和感を感じました(^_^;)

・Harryの決断
原書で、いかぞが一番好きなシーン。それは、Harryが3階のトラップドアをくぐって行くと決断し、それをRonたちにいうシーンです。
RonやHermioneが、先生に怒られたりポイントを奪われたり退学になったり・・・といったことを心配しているとき、Harryはひとりで現実を見据えています。まだどこか「本で読んだ物語の中の出来事」のように感じているVoldemortの動きについて、Harryだけが真剣に考え、恐怖を覚え、そしてすでにダークサイドには行かないと決意しているのです。
このシーンは、なんとなく興味でPhilosopher's Stoneのことを調べ、偶然にTrollなどいろいろな出来事に巻き込まれていたそれまでと異なり、Firenzeとの会話とその後知った事実によって、Harryがこれらの出来事を自分のこととして見据えた大事なシーンだといかぞは思います。このシーンがあるからこそ、この1巻が単なるご都合主義のハッピーエンドではない1冊になっていると思うのです。
そしてRonとHermioneも、ここで初めて自分で「一緒に行く」と決断します。Harryほどまだ現実を見据えてはいなかったでしょうが、それでも「Harryをひとりで行かせたくない」という気持ちから、行くことを選び取ったわけです。これでやっと、3人が意地でも最後の部屋まで行こうとする原動力が出来たわけです。
ですが・・・映画では全くこのシーンはありませんでした。こういうHarryの成長に関わる重要シーンが切られてしまうのは、かなり悲しいです。

・Snapeの罠
飛ばされました(笑)。理論パズルは映画には必要ないようですよ、Snape先生(^_^;)
文章だけでなく、実際にビンの並びがないと解けないパズルだと思うので、見たいなぁと思うんですが・・・(大体は文章から並びが分かるけど、「背の高いものの隣に・・・」とか高さが関わると、絵もしくは描写がないと・・・)映画で描いてくれなかったので、まあおそらくこうだろうという並びを想像して我慢するしかないです(^_^;)

・HarryとVoldemortの対決
実際に「仲間になれ」と言うところを見ると、なんかドラクエみたいですね(笑)。
それはともかく、「両親を生き返らせてやろう・・・」というのはいらないと思います。死者を生き返らせる魔法はないのだから、そんなできもしない陳腐な嘘はVoldemortは言わないといかぞは思うのです。
ところで・・・Voldemort、鼻がありますねぇ・・・鼻の穴の切れ目だけじゃないんですか・・・?

Voldemortの去り方
なんか、Harryが気を失ったのがQuirrellが死ぬ後になってしまったので、そもそもHarryがQuirrellを殺したような形になってしまっているあたりもちょっと疑問ですが・・・
最後の場面、Dumbledoreが出てこないのがちょっと・・・という感じがします。たとえ魂状態で力がなくても、Harryだけ相手なら、守りが強くて殺せないかもしれなくても、手にもっている石くらいは奪えるのでは・・・
Quirrellの身体をほっといてさっさと逃げたのは、この状況でDumbledoreと会うのが得策ではないと思ったからだと原書を見た限りでは思いました。まあでも、想像の中ではその方がしっくりきても、この演出の方が映画らしいといえば映画らしいですが。

・Dumbledore、会話がせっかちです2
いかぞは、原書の終わりの方で大概ある、HarryとDumbledoreの会話が大好きです。ただ、この映画の会話シーンと原書を読んだときのこのシーンのいかぞの印象とは、かなり違うものがありました。場面や雰囲気が違うのではなく、会話そのものの雰囲気と言うか、流れが違う感じがしたのです。
まず、何よりHarryの目の覚め方です。さすがにDumbledoreのめがねをSnitchと間違えるところの描写までいらないでしょうが、戦いの間に気を失って、目が覚めたときに数日という時間が経ったのだと気づかずにパニックになる、というのは、とてもリアリティのある行動だといかぞは思うんです。「うわあ、石が!Voldemortが!Quirrellが!!」みたいな(^_^;)
まあこれは、いかぞがDumbledoreがとりあえず一度Harryを落ち着かせようと話をそらすけれど結局戻ってしまう、というあの話の流れが好きだからこう思うのかもしれませんが。ちなみに、「間に合わなかったかと思った」と自分の心配をHarryに表した部分も好きなので、そこがないのも悲しいです。
そのほかにも、Framelのことについてが流されてしまった感じがします。このシリーズ、5巻まで読んでくると、人と言うものについての基本的なことがテーマの根本にある気がします。人権・愛情や憎しみ・人間関係・社会・生と死・・・。Framelのことは、まだ11歳だったHarryがはじめて(両親以外の)死に触れた、死について考えたであり、だからこそストーリー的にと言うより、Harryの成長の上で大事な出来事だと思うのです。
また、この原書のDumbledoreの話の運び方は、まだHarryの知らない色々なことを隠して話しているという、Dumbledoreの考えて言葉を選んだ末のものだといかぞは思うのです(これは5巻を読まなくても文からにじみ出てると思います)。それを変えてしまうと、例え言っていることのポイントは一緒でも、言葉の重さ軽さ、内容の深みに影響してしまうように思います。やっぱこういう映画だと・・・「会話」は切るポイントなのかなぁ・・・

・Harryのこころ
上の項目とほぼ重複したような内容ですが。
こっちはHarryの言葉についてです。原作では、HarryはDumbldoreに、「いくら石を壊しても、Voldemortはまたどうにか復活しようとするんじゃ・・・」と不安を口にします。それに対してDumbledoreが、「彼は死なないかもしれないが、復活しようとするたびに邪魔をすれば結局はいないも同然だ」となだめるのです。このシーンは、DumbledoreもHarryも、そんな甘いものじゃないだろうと分かっていながらも、彼は、この時点ではとりあえず心配するのはよしなさい、とHarryが心配しすぎないようにしてあげているところだと思うんです。ですが、映画では「これで復活できないですよね?」とHarryの質問が逆になってしまいました。原書も映画も、Dumbledoreの最後の意味するところは「Voldemortはいつか復活する」ということです。でも、Harryの現実の受け取り方にあまりにも差がありすぎるように思います。映画全般的にHarryを子供っぽいキャラとして演出したのならその無邪気さに納得いくのですが、映画の中でもHarryは寡黙で考え深そうに見えます。なんか、納得いかないです・・・。


・・・というわけで、突っ込み集でした(^_^;)



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