いかぞ徒然。(tCoNS統合)

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zoom RSS ハリポタ4観ました。

<<   作成日時 : 2005/12/05 22:59   >>

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今日は、ハリポタ4を観てまいりました。
豊島園のシネコンです。
公開してまだ1週間でしたっけ?
でも、ファミリー向けな上平日の夕方の回だったせいか(いや、映画館そのものの立地のせいか)、無茶苦茶空いていました。

入場時間のアナウンスで劇場内に入ると、なんと誰もいない!
ひとりで広い劇場内はかなり不気味です。
中学生のときのひとりで体育館の照明を消していたときを思い出しましたよ(^_^;)
↑演劇部だったので、文化部なのに体育館使用が多かった

最終的には10人くらいにはなりましたが…いかぞ以外は皆2人連れだったので5組程度?
少な〜(^_^;)

おかげで、貸切のような贅沢な鑑賞だったのでよかったですけどね。
としまえんのシネコンは、出来たばかりだし、座席も広めでとてもいいんですよ?


さて、Harry Potter and the Goblet of Fire

3に比べて、結構気に入りました。
やっぱり単純に監督さんとの相性があるんでしょうね、観る側として。
3の監督さんと合っている人もいるんでしょうから、出来うんぬんのはなしとは一概に言えないのかもしれません。

ちょっと、Dumbledoreが人が変わっちゃったという感じがしたかなぁ。
3作目は彼の登場がそれほど多くなかったせいか、特に違和感を感じなかったんですが。
なんだか落ち着かない、怒っているような話し方の人になってしまったという感じがします(^_^;)

Dumbledoreは裏でいろいろ手を回す冷静な人で、情が深いくせに、頭のよさのせいかそれを隠すのがうまく、だからこそ5巻の最後と6巻の彼の態度に重みが出ると思うんですが…
1・2作目のDumbledore役の方のほうが、そういうDumbledoreがよく出ていたと思います。
(でも脚本がセリフをつめすぎていて、出演者が全体的に早口でしたが)

Moodyは思いのほかよかったですね。
ビジュアル的に最初ちょっと想像と違うと思っていましたが、観ているうちに違和感がなくなりました。
あの、義眼越しの映像の部分での機械音はいらないような気がしましたが。
機械を思わせる音って、魔法の世界よりMuggle寄りなイメージがあります。

Siriusが出なかったのはショックだったかなぁ…
いや、出たといえば出たんですが…

暖炉での通信、あれって、あんな溶岩みたいな表面になるんですか?(^_^;)
顔が生首みたいに出るんじゃないんですかね。
だって、パンを食べたり出来るんだし…

Harryを心配して、ねずみしか食べられないような状況に追い込んででも近くに潜んでくれたり、最後の事件の後に駆けつけたりとか…ちょっと期待してたんですけどね。


それにしても、よくぞまあ、これだけ切ってうまくまとめた、という感じです。
すごくすっきりした話になっちゃっていました。

Quidditch World Cupの会場でDark Markを作った人物や、Goblet of FireにHarryの名前を入れたと思われる容疑者の数をざっくり減らしたのは、映画化という上でいい手だったのではないかなと思います。
Bagmanはまあ、本筋にそれほど関わっていませんし。
そのせいで、最初のHarryの夢の部分で、Crouch Jr.を出すという思い切った演出になりましたが。

おかげで、Crouch父がImperiusにかけられていたという事実も表に出ませんでしたし、殺された理由も全く出ませんでしたね。
本を知らない人には、何でいきなり彼が死んだのか(誰に殺されたのか)がちょっと「???」という感じだったかもしれません。

13年前に犯行を否定していた本のCrouch Jr.とは異なり、映画の彼は思いっきり悪役という感じでしたね。
まあ、Voldemortに対する忠誠心という根底は同じなのだし、Crouch父との関係を深く描く時間を映画内で取れないのであれば、単純に悪役として出した方が流れがいいということでしょうか。
親子の確執を入れ始めると、Crouch父と母が息子のためにしたことなども全て描かないと矛盾が出ますからね。
このエピソードを丸々切ったおかげでWinkyを出す必要もなくなりましたし、そのため、Bagmanもろとも、DumbledoreのPensieveを使って彼らの過去を明かす必要もなくなったわけです。
おかげでそのシーンもすっきり。
(Moodyの義眼の理由とKarkaroffの過去・Crouch Jr.の存在を明かすだけで済みました)

最も、じゃあどうやってCrouch Jr.はAzkabanから逃げたのさ、ってところが、謎のままになっちゃいますけど(^_^;)

他にも、2nd TaskのHarryの手助けを、原作どおりのDobbyにせず、そのオプション的方法であった(というより先にMoodyが計画した方法であった)Neville経由にした、というのもうまい方法だったと思います。

実際あの場面、本として読むに至っては、水の中で息をする方法が見つからないというHarryのパニック状態をギリギリまで煽るので面白いのですが。
映画で観ると、そこでいきなりDobbyというのもあまりいい流れにはならないような気がしますしね。

3と同様、原作にない場面や演出もいくつかありました。

1つは、ダンスの練習ですね。

この場面、いかぞは好きです。
原作を読んでいたときも、皆パートナーうんぬん以前にダンスを知っているの?というのは、疑問に思った点でしたので。
教えるのがMcGonagallっていうのも、理由ともどもなんだか納得がいって面白かったです。
(ドライなようで、結構自分の寮や学校への愛着が強い人、というイメージがあるので)

あの、早口言葉みたいな彼女のセリフをFredとGeorgeが真似しているのは笑いました。

もうひとつは、1st Task。

ええと、ドラゴン…足輪を切ってHarryを追いかけてますけど(^_^;)
あれって、Charlieたちの管理責任が疑われないんでしょうか?(笑)
HarryのQuidditchのシーンがない分、ここで思いっきり飛ばせたかったということかな?
まあ、ストーリーとして最初と最後につじつまを合わせていますし、これはこれでいいのかもしれないです。

同じく1st Taskで、Ronとの仲直りの仕方もちょっと変わっていましたね。

原作では、Ronはあの当日まで1st TaskでHarryがなにに立ち向かわなければならないのかを知らず、だからこそ、Harryがドラゴンと退治した姿にショックを受け、自分の非を認めたわけです。
映画では、Ronは最初からドラゴンが来ることを知っていた、という風に設定を換えていましたね。
その代わり、Hagridからうま〜くHarryに伝わらないかな、なんてちょっと手を回していたり。
原作よりも早い時期に自分が悪かったと認めていたけれど、意地っ張りなので動くきっかけをなかなか見つけられなかったというところでしょうか。

どちらにしろ、Hermioneの"Boys,"というため息混じりの言葉は合っていて、観ていて笑えました。

それにしても、色々切ったのはいいとして、"The Parting of the Ways"と"The Begining"をまるっきり切ってしまったのはいいんでしょうか。

映画の5作目って作られるんですよね?
Fudgeとの確執が、いきなり5作目で持ち上がったようになってしまわないんですかね?

それと、FredとGeorgeにHarryがお金を渡したシーンもなかったんですが…
5作目でその話を全くしなくても、まあ話は通じるでしょうが…
でも、6作目では繋がらなくなると思うんですけど(^_^;)

Priori Incantatemの意味も、ちょっと説明が足りなかったように思います。
結構重要なキーのひとつだと思うんですけどね。
兄弟杖だという表現がなかった…


全体的な印象としては、原作を読んだ人にとってはすごくいい出来の映画、という感じでしょうか。
バックグラウンドを知らずに観ると、結構わけ分からないかもね〜なんて思うシーンが多かったように思います。

まあ、本自体が認知度が高いので、その辺は問題ないのかもしれません。


あれ〜、コンテンツ側にも書く予定なのに、ここもずいぶん長くなっちゃった…
いずれ、こちらに書いた内容に修正・加筆してコンテンツ側にアップすることになると思います。

それではまた。

Harry Potter and the Goblet of Fire (UK) (Paper) (4)

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