いかぞ徒然。

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<<   作成日時 : 2007/03/06 16:51   >>

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え〜、今日は結果発表でした。
あまり自信がなかったので、発表は見にいかずネットで確認しました(^_^;)
自分の番号がないことを確認して帰ってくる道のりは、結構きついので。

なんというか…
ショックで落ち込んでいます。

が。

普通、今日発表を見て、落ち込んで、また奮起するものだと思うんですが。
いかぞはおかしなことに、そういうきっかけが昨日でした。

昨日の夜(深夜なのでもう今日でしたが)、テレビ朝日で、ドキュメンタリー番組をやっていました。
余命2ヶ月を宣告された6歳の小児ガンの男の子のお話でした。
2ヶ月を超えて、7歳の誕生日を迎えてもご両親の元で色々なことを経験して生きていることが出来たのですが、最後にはとうとう…というドキュメントでした。

こういう話を見てしまうと、どうしても泣いてしまういかぞなのですが。
泣きつつも、昨日は妙に冷静でした。

母を亡くして以来、いかぞは実は、病院もののドキュメントどころかドラマも見れなくなってしまっていて、一般向けの病気の解説のような番組すらチャンネルを変えてしまうような状態になっていました。
1年2年と経つにつれて多少はそういう気持ちも回復し、最近ではERとかをつけても大丈夫なときも多くなっていたのですが、それでも観ることのできない番組は多く、ましてや「最後に亡くなる」という結末が見えてしまっているものはどうしても最後まで観ることができなくて。

結局は、何を観ても自分と母とを重ね合わせることしか出来なくて、冷静さを失うようになってしまっていたんですね。

でも昨日は、『その男の子』の生と、『その男の子のご両親』の受け止められている気持ちとして観ることができたような気がします。

いかぞはここ数年、医師を目指して受験を続けてきました。
確かにそれは夢なんですが、医療や生と死という現実があまりにも身近になってしまったために、方向性を失っていたという気がします。

仕事をしなければならないこと、母の病院に行かなければならないこと、他にも色々あって引越しなどをしなければならなかったこと、もちろんこれらのことはいかぞの勉強時間を減らした要因で、まあ、いかぞも人間なんだから、疲れたという言い訳にするのも多少は許されるかな、とは思います。

でも、それ以前に、まっすぐな「医者になる!」っていう考えから、逃げていたところがあるようにも思いました。
別に熱意が冷めたというわけではなくて、医師になるという道の上では、医療や生や死のことを本気でまっすぐ考えなければならないことを知っているわけで、それがやっぱり怖かったんですよね。
っていうか、今でもやっぱり怖いんですが。

いかぞは、心臓が止まる時の電子音の音も知っていますし、握っていた手が冷たくなっていく感触も、みんな知っています。
自分があまり辛かったから、例えば医学を学んでいるときに、「母とどちらが辛いのだろう」と比較をしてしまわないか、下手をすれば、そこで死にいたるような病気ではなくても苦しんでいる人を軽視してしまわないか、ということが怖いです。
そして逆に、自分自身が感じた感情が、似た状況を目にすることでまた戻り、感情移入しすぎてしまうかもしれないことが怖いです。

ドラマならば感情的で優しい医師もいいのかもしれません。
でも、患者さんやご家族が冷静でいられない非常時にかけこんでくる場所が病院なのだから、医師に必要なのはやはり技術と知識と冷静さだと思うのです。
優しさは必要ですが、言うならば、計算された優しさ。

いかぞの母が亡くなるころ、研修医の先生が泣きそうな顔をしていらしたんですが・・・
冷静になると感謝を感じるんですが、でも、その場面にいると、感じるのは怒りなんです。
「何が分かるの!?」といった。
泣く暇があるのなら、少しでも痛みを和らげてあげて欲しいし、なにかしてほしいと思ってしまう。
だから、医師には冷静さが必要だと思うんです。

でもいかぞは、母を亡くしたこの数年で医学の勉強を始めていたとして、情けないことに臨床の場で泣いてしまう自信が多大にありました。


いかぞは、人を助ける医師でなく、人の役に立つ医師になりたい、と思って、医師を目指し始めました。

身体を治すことができるのは結局は患者本人で、その本人が無理なものを医師も助けることなど出来ないと思っているからです。
また、治らない病気であっても、質のいい『死』を迎えるということは、医師が『迎えさせてあげ』てできるものではなく、できるのは手助けだけだと思っているからです。

たまに、人の辛さや不幸を比べるセリフというものを聞きます。
「世の中にはもっと不幸な人がいる」というものです。
でも、いかぞはそうは思いません。

いや、人間の尊厳を守るために、恵まれていない人たちに手助けが必要、という考えは、もちろん当たり前のことですし必要ですよ?

そういう意味ではなく・・・
人が、「辛い」「苦しい」「悲しい」と思う気持ちは、絶対的な尺度などなくて、その人のみに付随する相対的な気持ちだ、ということです。

恋愛を軽視する人にとっては恋愛で苦しむ人の気持ちはばかばかしく思うかもしれないけれど、確かにそれで自殺をしてしまう人もいる。
騒がしい家に生まれて「誰かがいる」という価値が分からない人がいても、1人でいることに苦しむ人がいる。

病気だって、腰が痛いだけで人生が終わったように感じる人もいるだろうし、一生付き合っていかなければいけない難病すら、前向きに考えられる人もいます。

いかぞのように20代で親を亡くしてしまったどころか、子供のころに親を亡くしてしまった子供はとても不幸です。
でも、だからといって、60歳で80歳の親を亡くした人の悲しみが、若い子供の悲しみに劣るとは絶対に言えないと思います。

そういう気持ちの感じ方というのは、その人の弱さとかの問題ではなくて、人生の中で培われてきた価値観の中で、何を苦しいと思うのか、ということなんだといかぞは思うんです。


でもここ数年、いかぞはあまりに辛すぎて、ほんときつくて、人を「うらやましい」と思うことが増えてきてしまっていました。
つまりは、他人も持っているかもしれない悩みを軽視していたわけです。

誰でもそういう部分はあると思いますが、いかぞの場合、ここですでに「なりたい医師像」と相反する状態になってしまっていたわけで。

そういう気持ちの疲れが、まっすぐさを欠けさせてしまったんじゃないかな、と思います。


昨日ドキュメントを観ていて、自分を振り返って思ったのは、そういうことでした。
猛烈に反省。
そりゃ落ちるわ(泣)。


こんな風に反省して決意して、でもやっぱり仕事で疲れたりしたらまた、色々落ち込んで愚痴るのかもしれないけれど。

でもやっぱり昨日ではっきりしたのは。

いかぞはお医者さんになりたいです。


それではまた。

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『東京タワー』とやら。
今、『東京タワー』というドラマが人気ですね〜。 正直、早く終わってくれという感じです(汗)。 別に、批判じゃありませんよ?(笑)。 ...続きを見る
いかぞ徒然。
2007/03/12 17:30

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