いかぞ徒然。(tCoNS統合)

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zoom RSS 記憶。

<<   作成日時 : 2005/10/26 04:23   >>

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いかぞには、6〜7歳より前の記憶が全くと言っていいほどありません。
6歳のときに両親が離婚して母と祖母・曾祖母と暮らし始めたのですが、事情があって曾祖母の前では父の話は禁句に近かったので、子供心に「話してはいけない」「思い出してはいけない」と頑張っているうちに、記憶が完全に薄れてしまったようです。
多分頭のどこかには残っているんでしょうけど、記憶をつなぐラインがきっと途切れてしまったんですね。

いかぞが去年母を亡くしてしばらくして思ったのが、「ああ、私の7歳より前も一緒に死んだんだな」ということでした。
父はもう20年以上も会っていないので生きているか死んでいるかも分かりませんし、兄弟姉妹もおらず、他の親戚は幼い頃は1年に1回会うかどうかでしたので、私自身が覚えていない限り、私の7歳までの歴史を知る人間がいないんです。
引っ越した際に主な写真も父の下に置いてきてしまったらしく、七五三などの記念物はともかく、生活がわかるようなものはほぼ皆無。

身内を亡くしたときに、自分の一部を無くしたように感じるのはもちろんですが、本当に自分の一部を亡くしたんだなぁと…
なんだか妙に、ショックを受けました。

そんなわけで、いかぞが知るいかぞ自身の昔は、自分で経験した記憶ではなく、母から聞いたものだったりします。
3歳のときにこういうことがあった、小さい頃はこんな子だった…
うちはとても仲のよい母娘だったので、一緒に夜更かしができるくらいの年齢になってから、例えば年を越すときなどに、色々と語ったことが何度もありました。

聞いていたときは、覚えていないので本当に人事という感じで。

でも、なんだか今日(もうとっくに昨日)、妙に『自分事』に感じました。

いかぞ、自転車に初めて乗れたのは、幼稚園のときだったらしいんです。
母が何度も公園に連れて行ってもダメだったのに、父が一度連れて行ったら、乗って帰ってきたそうで。
そういう時って母親ってダメなのかもね(つい過保護になるから)、なんて、ちょっと悔しそうに語られたりして、くすぐったいような感じはしたけれど、やっぱり思い出せなかったことを覚えているんですが。

今日、いつもどおり図書館で勉強をして、2時間くらい経って、公園で30分ほど休憩していまして。

10分ほどコーヒータイムで使った後、20分ほど歩いていたんですが、途中で小さな女の子の自転車の練習に付き合う若いお父さんお母さんがいました。
周りは色の変わり始めたイチョウの木がいっぱいあって、道が少し広くなっている場所で、思いもかけずその女の子がうまく乗れて。

「乗れるじゃない!すごいね!」

なんて、お母さんが嬉しそうに声をかけていました。

そのとき、思ったんです。
初夏だったって。
周りはイチョウの木が見えているのに、青々とした若葉が茂っていて、光がさしている気がしました。

今考えても、やっぱり夏か冬かもはっきり思い出せないのに、なぜかそのときは、自転車に乗ったのは春過ぎから初夏あたりだった気がしたんです。
妙に泣きたいような気持ちになったのは、母が死んだときの感覚に似ていて、なぜ苦しいと思っているのか自分でも分かりませんでした。
母が死んでから半年くらいの間、死んだそのときのことがフラッシュバックすることがよくあったんですが、思い出というよりその感覚とほぼ同じで。
もし思い出しているのなら、懐かしいと思うはずなのに。

なんだろう。
これって記憶なんでしょうか?
それとも、ただ何かと勘違いをしているのかな。

知りたいけど、でもやっぱり誰にも確認できないんですよね。


なんか、変な話をしてしまいました。

それではまた。

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